次なるステージへ

2014年2月13日にアキュセラ・インクは東証マザースに上場した。現在、加齢黄斑変性や糖尿病性網膜症、緑内障などの網膜疾患に対する治療薬開発を主に手がけており、ほぼ100%の投資を日本からいただいてきた。だからこそ、上場する時は日本の市場と決めて目指してはいたが、何度も資金が枯渇しそうになり、正直上場できるとは考えていなかった。この場をお借りして投資家、社員、関係企業の皆様に心から感謝の意を表したい。上場を果たした今、ますます身が引き締まる思いである。

眼科医だった私が起業することになった道のりを振り返ってみたい。慶應大学医学部を卒業後、同大学大学院に進み、「網膜に特異的な遺伝子を見つける」ことを研究テーマとし、最終的にデータが出るまで7年かかったが、緑内障原因遺伝子「ミオシリン」を発見することができた。その後、臨床医として手術の腕を磨くために虎の門病院や慶應病院に勤務した。また、眼科領域では新薬開発があまり進んでいなかったため、治療薬が存在しない疾患も多いことに愕然とした。こうした研究と臨床の経験から、世の中に存在しない網膜疾患の治療につながる何かを自分が生きている間に成し遂げたいという思いを強く持った。そして、米国ワシントン大学への移籍を決め、2000年に渡米したのである。

ワシントン大学では再生医療の研究に取り組んだ。さらに当時の私は、網膜を再生する技術を実用化するにはあまりにも時間がかかると判断し、より早く患者さんに治療法をもたらすならば新薬の開発しかないと考えた。こうして私はワシントン大学で発見した技術をもとに2002年にシアトルの自宅地下室でベンチャー企業を設立したのである。

当初からグローバル展開を目指していたので、米国は私にとってベストな選択だった。米国には世界中から優秀な人材が集まってくる。また、小さな企業にリスクをとって参画する勇気を賞賛する文化があるため優秀な人材ほどベンチャー企業を選ぶ気風がある。また、非常に多様性のある考え方を持った人材を集められたこともイノベーションを起こすのにはうってつけであった。企業の知名度もブランドもなければ、私の名前すら聞いたこともなかったのに 、事業構想や「失明から世界を救う」というミッションに共感した専門性の高い非常に優秀な人材が集まってくれた。まさに米国のオープンな土壌のおかげと言えよう。

今、多くの日本人が世界各国への進出を目指している。世界で活躍する先輩たちの努力があったおかげで、日本人は信用できるし実直だといった良いイメージが世界に広がっている。何十年も前の状況とは一変している。自分が日本に生まれて本当に良かったと思う。同時に、我々の行動によってはこのような良いイメージを一瞬で失うこともたやすいことだと感じている。米国は厳しい競争社会で苦労も多いが、先輩が築いた世界における日本の存在感をさらに高めていけるよう、いかなる時も甘んじることなく邁進していきたい。

2014年2月13日